今さら聞けない「黙祷(もくとう)」ってどうしてる?


参照元:https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/07/18/gazo/20180717s00001002475000p.html

今日は、戦没者を追悼し平和を祈念する日「終戦の日」となっています。
毎年、日本武道館において政府主催の「全国戦没者追悼式」が行われ正午から1分間の黙とうが行われますね。

さらに、最近では東京五輪開催中に「原爆の日」に合わせて広島市から黙とう要請があったにもかかわらず、国際オリンピック委員会(IOC)が応じない方針を明らかにした旨のニュースに国民の賛否両論も耳にしました。

五輪大会中での黙とうの件について、個人的見解はさておき。
この「黙とう」という言葉をあまり理解せずに、独学的感覚で動いていた私でしたので、ぜひこの機会に深く掘り下げてみようとおもいました。


https://news.yahoo.co.jp/articles/3405760d06380c13042310c165f89f71cdcd2efc/images/000

私ごとですが、広島で生まれ育ち被爆二世ということもあり物心つくころから「原爆の日」「終戦の日」という特別の日には、周りの大人たちが手を合わせ頭を垂れて一定時間、じっと動かない環境でしたから真似ごとから始まった気がします。

私の幼い時代は、広島市内の小学校はかならず8月6日には「登校日」と定まっていて、8時15分の町内で流されるサイレンや寺院で響く鐘の音を合図に立ち上がり背筋をのばしての黙とうをしていました。

現在は、広島市内の小学校も「原爆の日」に登校日になっていないし、町内で流れるサイレンや寺院で響く鐘の音も全く耳にしないようになりました。
残念ながら、今「記憶の風化」を肌で感じています。

さて、少し話は逸れましたがこの「黙とう」を幼いころから大人のすることを見様見真似で行っていた私が誤っているのか少し心配になったので調べてみますと

黙祷の語源とは

:声を出さないこと
:神や仏に願うこと・祈ること

黙祷の作法は、ポイント3つ

決められた時間を
目を瞑り黙って動かず
祈りを捧げる

これだけです。特別に「こうであるべき」のきまりごとはないようです。

黙祷は宗教に関係なく行われます。仏教の信徒でもキリスト教でもイスラム教でも他の宗教でも、何を信仰していても誰でも参加できる祈りの作法。

だから上の3点だけ守っていれば、手を合わせても頭を下げても良いのです。祈りを捧げる対象は亡くなった方でも神様でもご先祖様でもよいのだそう。

そして大切なことは、黙祷は強制されてするものではない事です。自分の意志で自発的に行うものなのです。逆に言うと黙祷の場所、黙祷の時間に黙祷をしないことも自由なんですね。

でも黙祷をしないという選択をした場合、最低限のマナーとして物音を立てたり声を出したりしないことが必要です。

そこまで調べて、我に返りました。私の周りの大人たちが、国内外関係なく、当たり前のようにされていたことを幼い子が見様見真似でも出来ることのすばらしさを痛感します。

大人が当たり前にすることは子供は背中を見て育つものなのです。この黙とうだけでなく、環境問題やボランティア活動を自然に行う大人の姿勢が大切なのですね。